大河ドラマ『光る君へ』
第一話からみていますけど、
面白いですね。
凄く昔のことですし、
ドラマにするには
情報も少ないであろう
この時代のことを、
大まかな史実は残しつつ
ドラマティックに
演出されていていて、
毎週惹きつけられて
観ています。
どの俳優さんの
演技も素晴らしいのですが、
めちゃくちゃ悪くないですかー(●`ε´●)
観ていて怖いし、
歯がゆいシーンも多くて、
ホントにこんな人だったのかって
逆に興味が湧いてきました。
そこで、
今回は藤原道兼に
スポットを当てていきたいと
思います。
◯『光る君へ』まひろ(紫式部)の母は道兼殺された?!
1話の最後に道兼に
まひろの母が殺されるという
なんとも酷いシーンがありましたが、
あのシーンは
フィクションだそうです。
紫式部は幼いころに母を亡くし、
父に養育されたのは
史実のようですが、
母の死因についての
詳細なことはわかっていません。
道兼の
ドラマのキャラ設定
ということだったようです。
ドラマでは、
容姿端麗で、
できの良い優秀な兄と
比較され続け、
ヤキモチやいて、
もっと自分を見て!
淋しいよっ!
っていう感じの映像が
印象的ですが、
実際は、
どうだったのでしょうね。
◯藤原道兼とは
961年 誕生しました。
次男ですが、
異母兄弟も合わせると
三男になるそうです。
984年
「師貞(もろさだ)親王」が即位
(花山天皇)
藤原道兼は「蔵人頭」として仕えます。
(※蔵人頭→秘書的な官職)
が、しかし、
父の兼家が花山天皇の退位を
もくろみます。
道兼は、そのもくろみを
現実のものとした実行犯。
花山天皇を騙し譲位させました。
どんなふうに騙したかというと、
花山天皇は出家を進められ
躊躇しますが、
道兼は、
- 一緒に出家する
- 側に寄り添う
と、説き
内裏から連れ出し
花山天皇が髪を落とした途端、
出家前の姿を父に見せたいと言って、
立ち去り、
二度と戻らなかった
というエピソードが残されています。
(大鏡より)
道兼は見事、汚れ役を果たし
986年 花山天皇を出家させると、
兼家の孫である
「一条天皇」の御代に。(寛和の変)
父→摂政となり
道兼も昇進。このとき26歳。
兼家は、自分には時間がないと悟り、
一条天皇の即位を
急いだとされています。
即位〜4年後の永祚2年
父の藤原兼家の死去。
その後、兄・道隆が
- 一条天皇の摂政
- 関白
に就任。
道兼は、
次に摂政や関白になるのは、
自分だと思っていたので、
亡き父親に
恨みをつのらせたとされています。
995年 兄・藤原道隆糖尿病で逝去。
道兼に関白の宣旨が下り、
念願の関白に。(35歳)
しかし、同年、道兼も病死。
死因ははっきりとはわかっていませんが、
- 糖尿病
- 疫病(天然痘)
ではないかとされています。
道兼が関白に就任した期間は
10日前後という短さであったので
道兼の別名「七日関白」と
呼ばれます。